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【ピアノの歴史とは?】ピアノが誕生してから日本で普及するまでの歴史を解説

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【ピアノの歴史とは?】ピアノが誕生してから日本で普及するまでの歴史を解説

「楽器の王様」とも呼ばれるピアノは、私たちの生活の中でとても身近な楽器です。

ピアノが発明された頃は貴族が楽しむ楽器でしたが、今では一般家庭でも親しまれていて、学校の授業や演奏会など幅広い場面で使用されていますね。

ヨーロッパでピアノが誕生してから約300年が経ち、音楽の発展とともにピアノも進化を続けています。

今回は、ピアノの前身となる楽器と、ピアノが誕生してから日本で普及するまでの歴史を解説します。

ピアノの前身楽器

クラヴィコード

ピアノの前身であるクラヴィコードという鍵盤楽器は、14世紀頃に発明されました。

4本脚がついたものと、脚がなく直接テーブルに置くタイプの2種類があり、音域は4〜6オクターブです。

クラヴィコードは「蚊の鳴くような音」と表現されることが多く、楽器のそばにいる数人にしか聞こえないほど音量が小さいので、家庭用として使われていました。

鍵盤を押すと、タンジェントと呼ばれる金具が弦を打って音が出る仕組みになっています。鍵盤を押す力によって音の強弱がつけられ、ビブラートもつけられるのが特徴です。

鍵盤楽器でビブラートをつけられるのは珍しく、繊細な音色で表情豊かに演奏ができ、長いあいだ人々に愛されました。

引用:大塚直哉さん 古楽器を弾く(3)18世紀末のクラヴィコード|読売新聞オンライン動画

ハープシコード(チェンバロ)

ピアノの前身楽器の2つ目は、バロック音楽を代表する楽器、ハープシコードです。

ハープシコードはドイツではチェンバロ、フランスではクラブサンと呼ばれている鍵盤楽器です。

鍵盤の黒鍵と白鍵が現在のピアノと逆になっていることをご存知の方もいるかもしれないですね。

全体のかたちはグランドピアノに非常に似ていて、鍵盤が二段になっているものもあります。

イタリア、フランス、ドイツ、イギリスなどヨーロッパの多くの国に広まり愛されました。

鍵盤を押すと、鍵盤の奥の金具が弦を弾いて音が出る仕組みです。そのため、ハープやギターにも似た独特な音が出ます。

音の強弱はつけられないことと、調律がくるいやすいという特徴があります。

音の強弱がつけられないため、演奏するときはスラーやスタッカートなど、アーティキュレーション(演奏技法)が重要な役割を果たしています。

引用:【チェンバロ】18世紀フランス様式の二段鍵盤で演奏|なんばまさる

クリストフォリの発明によるピアノの誕生

現在のピアノの原型とされるのは「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」という楽器です。1709年にイタリアの楽器製作者、クリストフォリによって誕生しました。

クリストフォリはハープシコードが音の強弱がつけられないことを不満に思い、ハンマー仕掛けで弦を打って音を鳴らす現在のピアノにつながるメカニズムを発明しました。

クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテは「弱音も強音も出せるチェンバロ」という意味で、この言葉を短くして現在は「ピアノ」と呼ばれています。

チェンバロに近い音色で音域も狭いですが、現代のピアノが持つ特徴のほとんどを備えているので、まさにピアノの原型です。

クリストフォリが製作したピアノで現存する3台は、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ローマの国立楽器博物館、ライプツィヒのライプツィヒ大学博物館に展示されています。まだ3台も残っているなんてすごいですね。機会があれば見にいきたいです。

ピアノの歴史

クリストフォリのピアノの発明後、ドイツのオルガン製作者、ジルバーマンが改良を重ねていきました。

ジルバーマンは改良の際、作曲家バッハにアドバイスをもらっていたそうです。タッチが重いことや高音が弱いことなどの指摘を受け、ジルバーマンは何年もかけて修正をしました。

ジルバーマンのピアノはフリードリヒ2世に献呈され、バッハは王の前でそのピアノを演奏しています。

19世紀には産業革命も後押しし、ピアノは大きく改良されて現在のかたちに近づきます。

産業革命前はピアノは1台1台手作りのため高価で貴族の楽器でしたが、産業革命後は製造技術が向上してたくさん作られるようになったため、一般家庭にも広まりました。

ピアノの音域も広がっていき、1,000〜2,000人の人に聴かせるためのホールもできるようになり、ピアノの音量や音の伸びが要求されるようになってきました。

ピアノ奏法も発達していったので、素早い連打やトリル、速いパッセージが多用される曲も生まれ、それに対応できることも求められていきました。

低音を響かせるための太い弦や、それを支える頑丈な鉄骨も製造されるようになります。

ピアノが発達していくとベートーヴェンをはじめとするピアノの名手が多く現れ、シューベルトやメンデルスゾーン、ブラームスなどの作曲家がピアノ曲を多数残すようになりました。

19世紀後半になるとピアノ曲をメインに作曲したショパンや、ピアノリサイタルを最初に開いたとされるリストなどのピアニストが活躍し、音域も82鍵まで広がりました。

オーケストラと匹敵するくらいにピアノは存在感を増していきます。

協奏曲でピアノがオーケストラに負けないように、また作曲家もオーケストラに挑戦するような曲を作るようになり、ピアノはますます進化していきました。

19世紀末には88鍵が標準となって現在のピアノのかたちが出来上がり、今でも細部の改良や新しい技術の研究が続けられています。

日本でのピアノ文化の普及

1823年にドイツ人医師シーボルトによって日本に初めてピアノが持ちこまれました。

シーボルトは帰国する際に、親交のあった熊谷五右衛門義比(くまやごえもんよしかず)にピアノを贈っていて、現在そのピアノが熊谷美術館で一般公開されています。

ヨーロッパに100年以上も遅れをとってピアノが上陸した日本ですが、それからは目を見張るほどピアノ文化が普及していきます。

日本で本格的にピアノが作られたのは1900年のことで、ヤマハが国産ピアノ第1号のアップライトピアノを製造しました。ヤマハは1902年にグランドピアノの製造も開始します。

ヤマハのピアノは明るく華やかな音色が特徴で、楽器の個体差が少なくどのピアノも一定のクオリティを保っていて、海外でも人気があります。

タッチが軽めなため子どものピアノレッスンにも向いていて、多くの家庭で愛されています。

1927年には、カワイの創設者である河合小市氏が「河合楽器研究所」を設立し、アップライトピアノの製造を開始。翌年にはグランドピアノを誕生させました。

1953年には年間1500台ものピアノを生産し、その功績が称えられて河合小市氏は天皇陛下から表彰されています。

カワイのピアノの中でも「Shigeru Kawai(シゲルカワイ)」はグランドピアノの最高級ブランドで、世界的評価が非常に高く、さまざまな国際コンクールで使用されています。

日本では戦争でピアノの製造が一時中断しましたが、戦後に音楽が教育科目として組み込まれるようになってから、ピアノの製造が盛んになっていきました。

2大ピアノメーカーの「ヤマハ」と「カワイ」のピアノの人気からわかるように、現在日本のピアノは高品質なピアノとして世界で愛用されています。

日本のピアノ普及率も25%と世界でトップクラスです。子どもの習い事でもピアノは人気があり、音楽の授業でもピアノは欠かせません。このようにピアノ文化は日本で急速に広まっていきました。

まとめ

ピアノは長いあいだ、音楽の発展とともに改良が繰り返されて進化してきたことがわかりました。

オーケストラと肩を並べられるほどの音域の広さや音量の自在さで存在感を増すようになるまでには、たくさんの楽器製作者の努力が積み重なっていたんですね。

日本にピアノが上陸してからピアノ文化が急速に広まったのが印象的です。私も何十年ぶりに、実家のピアノをさわってみたくなりました。

現在では電子ピアノの機能も充実してきていて人気が高まっているので、これから私たちの生活の中でピアノがどのように進化していくのかが楽しみです。

【この記事を書いた人】

オーケストラ好きライター さち

「愛知県在住のWebライター。学生時代は吹奏楽部に所属し、7年間ホルンを演奏していました。現在、双子を育児中です。 心が洗われて優雅な気持ちになる、オーケストラの音楽の魅力を伝えたいです。」

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